B・N・F の名前の由来

「B・N・F」 とは、彼がインターネット掲示板サイト「2ちゃんねる」で使っていたハンドルネームで、
天才投資家 ビクター・ニーダーホッファー (Victor Niederhoffer) の名前から取ったものである。本来なら「V・N・F」となるところ、「V」をあえて「B」ともじって、「B・N・F」とした。






 ビクター との出会い

B・N・F がビクターを初めて知るのは、1998年に放送された、NHKスペシャル「マネー革命」でのことである。
この番組の第1話では、金融トレーダーやヘッジファンドの主催達が登場し、世界で名高い投資家「ジョージ・ソロス」や、「ジム・ロジャース」などが紹介された。しかし、この番組でひときわ目を惹いたのが、破綻した大物トレーダーである「ビクター・ニーダーホッファー」の取材であった。円の為替取引で財をなした彼は、その後あらゆるトレードで膨らませた巨大な資金をたった1日(1997年10月27日のニューヨーク株式市場の大暴落)ですべて失い、巨額な借金と共に破綻する。その様子と彼の独占インタビューは圧巻であった。

B・N・F は、この番組で大きな衝撃を受けることとなる。
のちに彼は この時のことをこう語っている。


 
  マネー革命って番組見た時、1話でビクターっていう投機家見たけど
  マジで天才だった。あれはほんと天才だと思った。
  俺は180万を1年半ぐらいで1億に乗せた。そのときは天狗気味だった。
  なんだビクターとかより自分の方が率的には全然パフォーマンスいいじゃんと。
  しかし、1500万で50万損するのと1億5千万で500万損するのは
  精神的に全然違う事に身をもって気づいた時、彼の天才ぶりが分かった。
  でかい資金を運用する精神的つらさ。それによる利食いの速さ損切り時の遅さ。
  並びに図体のデカサからくる身動きの遅さ、
  更に彼らは、年間これだけはパフォーマンス上げなきゃいけないというノルマのキツサなどなど・・・・
  自分の資金が増えて数十億、数百億を短期で回し、それでも好パフォーマンスを上げる人たちが、
  どれほど精神的にタフで優れた売買技術 そして頭の回転の速さを持ってるか分かった。
  自分じゃとても真似できないと思った。
  その人が株の天才かどうかは最低でも10億まで資産増やして
  それでもちっとも臆病にならなくて平気で1000万ぐらいの時と同じ様な感覚で売買できる人だと思う。
  よく天才って言葉目にするけど
  1億以下の運用額では どんなにすごいパフォーマンス上げても
  天才かどうか測る段階にもないと思う。



こう語るB・N・F の当時の運用資産はまだ2億7000万ほど。このわずか2年後に彼は100億円以上の資産を築き上げる。







 ビクター・ニーダーホッファーとは


経歴

ビクターニーダホッファーは、有名なヘッジファンド経営者であり、統計学者である。
1964年にハーバード大学で、1969年に博士としてシカゴ大学で、統計と経済学を学ぶ。
1967〜1972年、カリフォルニア大学バークレー校でファイナンスの教授として教壇に立つ。

1965年、大学に在学中のとき、個人が所有する会社を大手の会社に売却するという投資銀行の会社(Niederhoffer, Cross and Zeckhauser, Inc.) をフランク・クロスと共同設立する。こうして彼は投資銀行界の草分け的存在となる。この会社は現在、Niederhoffer Henkelという名前で、リー・ヘンケルによって運営されている。

1960〜1970年代、ビクターは大学教授として、市場の非効率性について学術論文を書き多大なる影響を与えた。
これがのちに、ニーダーホッファー投資会社(Niederhoffer Investments, Inc.)へとつながる。この投資会社の成功に目をつけたのが金融界のドン「ジョージ・ソロス」であった。ビクターはソロスのパートナーとなり1982〜1990年の間、外貨取引の運用マネージャーとなり、すべての外貨取引を担当し続けた。ソロスはビクターのことを大変高評価し尊敬しており、自分の息子をビクターのもとで働かせてトレードを学ばせていたほどである。





ニーダーホッファー投資会社の リターン

ニーダーホッファー投資会社は創業から1996年まで毎年35%のリターンを上げ、MARによって世界ランキング1位のヘッジファンドマネージャーにランキングされている。





円の為替取引

ビクターにとってもっとも思い出深い投機が1994年に行った円相場である。この年、円は急騰して初めて1ドル=100円を突破し、世界中のトレーダーが円相場の行方に注目していた。ビクターは、最初円安に戻るほうに賭け投資資金の25%を失うが、すぐに更なる円高を見抜き方針転換に移った。ビクターは2日間まったく眠らずにモニター画面の前で食事をとったと言われている。そして勝負は3日目に入る。彼は、膨大な金額の円を買い集めた。ビクターは10秒間隔で円相場のチェックを続けた。

     96円10銭 → 95円50銭 → 95円--

その瞬間、ビクターは、すべての円を売りぬける。投機は空前の大成功であった。
それから3分後、モニターを見たビクターは「あっ」と叫ぶ。なんとその後、円は97円まで暴落していたのだ。10秒後とのチェックがなければ数分の差で、逆に破産していたのである。





1997年の大損失

1994年7月タイで通貨危機が起こる。タイへの投資に積極的だったビクターは2000万ドルの損失を出してしまう。このタイで発生した通貨危機は、その後マレーシア、インドネシア、韓国へと広がってゆく。そしてずっと一本調子で値上がりしていたニューヨークの株価も10月に入り乱高下を繰り返した。そして1997年10月27日、運命の日がめぐってくる。

この日、株価は朝から暴落する。あまりの売り圧力の強さに午後2時30分取引は一時中断された。ここでビクターは群集の心理を冷静に読む。「この下げは恐怖から出たもので必ず反発する。」 そしてビクターは株価の反発にすべてを賭けた。具体的にはS&P500指数先物のプットオプションを大量に売ったのである。30分後、取引再開、株価は無常にも下げ続けた。7.24%の暴落。一日の下落率としては、ブラックマンデー以来の大暴落であった。それでもビクターには自身があった。株価かは明日必ず上がる、それまでの辛抱だ。

しかし、ここで大きな誤算が生じる。取引金額が大きすぎたため5000万ドルの追証が発生してしまったのだ。期限は明日の朝。その夜ビクターは資金を工面しようと奔走する。しかし資金を集めることができず、翌日の朝、売り気配でニューヨーク市場は開かれる。状況を確認後、ビクターの建玉は、すべて強制的に整理されることとなった。その瞬間、ビクターは巨額な資金をすべて失い、一瞬にして巨大な借金をかかえて破綻してしまったのである。

そして、30分後に株の暴落はとまり、午前10時に狂ったように株価は上がり続けたのであった。ビクターの売ったプットオプション価格をはるかに越えて。なんとも皮肉なことに、ビクターの読みは最後まで正しかったのである。ただわずか1時間の時間差で追証の資金を工面できず、彼は破綻してしまった。